america (31) boyaki (34) genpatsu (9) hito (11) hon (11) jimoto (2) nakama (20) nippon (68) seiji (7) sekai (28) sigoto (2) skate (25) taberu (49) yasumi (39)

くろき 秋葉原

日本橋に住んでいた時に、近所でんまい塩ラーメンが食いたいときは、ここによく行きました。


ある日、テレビでこのお店が出て、そしたら食べログの「秋葉原 ラーメン」のランキングで一気に上位になって、常に行列になって。。。 ひとつのラーメン屋が有名になっていく過程をタイムリーに見させてもらったのがこのお店ですね。

そしてこの前コンビニでカップラーメンを発見。売れる=カップラーメンってゆう流れが出来上がってるけど、基本的にカップラーメンで味を再現するのは厳しい。当たり前です。


秋葉原って言っても、東神田っていうかなんていうか、とりあえず秋葉原駅からだとけっこう歩く。 近くには生姜醤油ラーメンで有名な青島ラーメンもある。

また近くに行ったら食べたいっす。




クリスマスイブの上野公園で

イブでやたら人が多いので上野公園を抜けるルートで歩いていたら、こんなアートがありました。




なんかいいっすね!!
これが通りにずらーっと。 100くらいあるんじゃないっすかね。
気になる方は是非。 

んで上野公園の真ん中にできた、スターバックスが良すぎて感動しました。 

スターバックスのビジネスモデルは既存の飲食ビジネスの中でダントツ1位のモデルだと思ってます。
もう飲食と言う位置だけで考えてはいけないかなって思いますね。 とゆうかコーヒーに勝てるプロダクトって自分は思いつかないっす。
創業者のハワードシュルツ氏は尊敬する経営者の一人です。 









その壁は扉かもしれない

この言葉は太田秀基君の言葉ね。
(太田秀基君知らない方はここをクリック)

あの学生ベンチャーの「タダコピ」の創業者の一人です。そのタダコピ時代にも本当に多くの壁にぶつかって、そんな中でこの言葉が生まれたようです。

ほんといい言葉だとおもう。
今、目の前にははんぱじゃなくでっかい壁があって、完全に五里霧中です。
でも!ぜーったいにあきらめないっす。

経営者の本とかをバカにする人もいるけど、自分はその中から一行でもためになることがあれば、それで万々歳だと思う。 

自分もたまに読むけど、今自分が思っている壁ってのは、その有名な経営者達がブチ当たってきた壁とかからすれば、たいしたことないなって。むしろ笑っちゃうぐらい小さいのかも(それでも今の自分にはきついんだけどね)

てか、それを乗り越えてやるって気持ちがここで生まれなかったら、その時点でそんな夢はティッシュに丸めて、便所に流したほうがいい。

これを超えたら、自分はまた強くなれるし、人としても成長できるはず。 それを考えたら逆にわくわくしてくる。 今回、自分の未熟さを知れた。圧倒的にまだまだ足りない要素がたくさんある。 

いつになるか分からないけど「やっぱあの壁は扉だったな~」なんて言えるように、さらに頑張ろうと思います。


ゆめなかば


今から、約1年半前に「ラーメンでアメリカ目指してみないか?」と、声をかけてもらいました。

当時、自分は青年海外協力隊のボランティア隊員としての任務を終えて帰国し、「さー居酒屋で独立するぞ!」って意気込んでいたところでした。

話はさらにさかのぼりますが、なぜボランティアに行ったか?というと。。。
赤坂の創作和食のお店で見習いをして、一応ながら社会人になり「お金」と向き合う中で、どんどん純粋な気持ちがなくなっていく自分に気づいて「あれ?」と思ったことがありました。

将来は自分で仕事を動かせる人間になって、色んな人々や仲間と「感謝」を共感したいと思っていた自分にとっては、お金の力が強くなっていくような自分の感情に疑問を感じて「これでいいのかな?」って悩むようになりました。 

悩んだ結果、思いついたことは「お金ってものを、もーっと尊い目線から見直すためには、途上国を見ることだ」という答えでした。 だって、自分自身の「普通」って、案外普通じゃなかったりするわけだから。  日本は裕福な国(世界で2位だった、GDPでは世界で今は3位)、裕福な国からお金を見るのと、貧しい国からお金を見ることはまったく違うってことは誰でも理解できます。

もし経営する立場に立った時に、金金金金カネ!ってなって、本当に大事なものを見えなくなる人間にはなりたくない!。それなら自分の道徳感を教育するためには、一度途上国に行かなければならないって思ったわけです。
もともとボランティアには興味あったけど、当時の自分は独立する意思の方が圧倒的に強かったのに、1~2年潰してでも、道徳感を磨こうと、その時は思ったわけです。

そして青年海外協力隊としてボランティアでキリバス共和国に派遣されました。もちろんその経験の衝撃は自分の人生の中で最大のものになったことは言うまでもありません。
(キリバス時代のブログ) ←クリック

話はめーっちゃ逸れましたが、ボランティアが終わり、さー立ち飲みでもいいから独立するぞ!って動いているときに、「ラーメンでアメリカ目指さないか?」との話が舞い込んできました。

「和食」をツールにしてグローバルで活躍できる人間になりたいと思っていたものの、「ラーメン」は考えもしないプロダクト(商品)だったわけです。 3~4日悩みましたが、自分が世界で戦いたい理由は、つきつめれば「日本の誇るべき食文化を世界に広げたい」ってことが出発点なんだな。。。。っていうことでした。
それなら「ラーメン」はもう完全に日本食と言える文化だし、自分の力では最初っから、いきなりアメリカに展開するなんてことは絶対にできないし、それなら最終的な理由は一緒だなって思いました。

そして、自分はアメリカでのラーメン屋を展開することを夢見て、その話に乗りました。
まずは「新しく都内にオープンするラーメン屋をやってみろ」という指令のもとに、ラーメンについてはまったく知らない自分は、がむしゃらに働きました。 はっきり言ってえげつない時間働きました。
時には苦しいし、辛いけど、新しいことを覚えることは楽しいし、そして何よりもひとつの夢を見てる自分には、いくらでも耐えることができました。

そして約一年が経とうとしていました。

当初は2~3か月と言われていた自分は、明らかに「このままじゃダメだ」ってことに気づいていました。  そして自分から、米国展開のための資料を集め、朝の九時から深夜1時まで働き、その後深夜3~4時までファミレスで勉強し、資料を作り、翌九時に出勤を繰り返しました。休みの日はJETROの図書館に行き、報告書として上に提出するようになりました。上からすると「君たちが現場をなんとかできないのが悪い」って気持ちだったと思いますが、自分たちは2~3か月で何かしらの目途を立ててくれると思っていました。(これが甘かった)

資料の提出を続け、アピールし、自分から行動をすることにより、なんとか一年と一ヶ月が経った時(2012年8月末)に、米国への視察するチャンスをゲットすることができました。

そして相方と共に、米国に行きました。 自分は27歳、相方は大学卒業したばかりの22歳。 自分はずーっと飲食業界できて、この仕事が好きでしたが、相方はどっちかっていうと「飲食業とかやりたくないけど、アメリカ行けるならやってやる」っていうタイプでした。

もちろんビジネスとしての思考も観点も、明らかに自分の方が上であり、そして何より自分の気持ちが強いこともあり「おまえできないなら、俺がやるから心配すんな!」的なスタンスできてしまいました。 これもまた失敗かなと思います。 相方は22歳にしては、とてもバランス感覚もあり、ビジネス感もあるのは事実ですが、その時に大事なのは素質ではなく、実力ほしかったのは事実です。

そしてLAに一か月、NYに一か月の視察を終え、11月に帰国しました。

しかし政治的な状況や、会社の方針、そして自分が米国のニーズをうまく伝えられなかったこと、色々な要因が絡み、12月12日の昼の電話で米国出店の話は事実上「消滅」しました。

12月9日には、ほぼ分かっていました。(なぜ分かっていたのかは思い出せない)
とりあえず12月10日の夕方から銀座らへんで一人で飲みだして、その日の夜中まで、色んなところを歩き回りながら、缶ビールを片手にずっと泣いていたことだけは覚えています。
出国前までは日本橋の窓無しアパートで一人暮らししてましたが、帰国後は実家に住んでいたため、帰ると家族がいるわけで、泣いている自分を家族に見せられないわけです。

家の前まで行って、涙が止まらなくて、玄関の扉を開けられなくて、また道端を歩き回って、コインパーキングの隅っこでずーっと涙が止まるのを待ちました。

んで11日は昼、1時間くらい社長と電話をしました。 ひたすら説教いただきましたが、ようは「米国出店の話しは白紙、日本の新規出店を手伝い、もう一度勉強しなさい」ということです。
自分の言い分もたくさんあるし、社長達がこの一年数か月で、自分や相方に言ってきた発言にかなりの矛盾があることは事実だと思います。
でも自分たち(というか俺)がそれをひっくり返せるような実力がなかったことが最大の原因だとも思うのも事実です。 お金を出す側が常に強いのは当たり前で、それを動かせるような実力がなかったことは自分の責任です。

今このブログを書いてる時間は、12月14日の午前3時、さっきまで13日だったわけです。 けっこうタイムリーにこの記事を書いてるわけですが、この5日間くらいで、人生で経験したこがないような心の圧迫感や、現実に限りなく近い怖い夢を見たり、動悸や息切れ、めまいさえ感じます。 こうやって人間は病んでいくんだなーとも思います。

でも自分はぜーったいに病みませんし、負けません。 今出資の話しがなくなり、五里霧中です。
はっきりいって明日が見えません。 ここで病んだら、完全にアウトです。 でも自分は、少なからず人に影響を与える人間だと確信しているし、ここで一般人になるわけにはいきません。 

だから、絶対に負けません。 いや、かなり負けそうで、折れそうな自分が、今ここでキーボードをたたいていることも事実です。

でも負けるわけにはいかないんですね。

夢なかばにして、こんな状況で負けるわけにはいかないんですよ。
本当に情けないです、情けなすぎて気になっている女性にも連絡できないわけです。 
今ただのニートだし。 

俺は本当に弱い人間です。 
ガキの頃から、ちょっと変わった家庭環境の中で「強くなんなくちゃ」とずーっと思ってきました。 
「ずーっと俺がなんとかしなくちゃ」って思いながら生きてきました。 
親は平和に幸せに、安定して良い家族を持ってくれれば、それで十分だよって思ってくれています。

強くなって、強くなって、一にも、二にも、三にも、四にも、早く親孝行したいです。 それができたら、自分の愛する人を探し、幸せになりたいです。 それもできたら日本のために活躍できるような人材になりたいです。 それもできたら世界の問題に貢献できるような人間になりたいんですよ、自分は。

だから、今けっこうはんぱじゃなくきついけど、とりあえず親孝行を自分が納得できるまではやらないと、死ぬにも死にきれないです。弱ってる場合じゃないんです。

だから、頑張ります。 今ひとりです。 親戚も仲間も、友達も、知り合いも、自分に期待してくれていました。 だからこそ言えないことってたくさんあったりします。 自分の弱みとかって誰でも簡単に出せるもんじゃない、なーんかなるべく笑っていたいんですね、みんなの前では。 強がっちゃうんです。

なんとかしなくちゃ。
今はその気持ちが全てです。もちろん焦りすぎるのはよくないのも分かってます。
また強がって、強がって、きっと自分はこの壁を乗り越えます、絶対に。

しんご西成っていう大阪のラッパーがいます。「STAYSTRONG」という曲にこんな一節があります。
「弱い、弱い、人間は弱い、それを理解してることが、強い」

「強い奴」になるためには「強がる」しかない、「強がり」っていうのは「弱さ」があって成り立つ言葉だなと思います。 そんで、その積み重ねでしか人は強くなれないのかなって思います。

だから自分は強がって強くなります。この壁を時間をかけてでも壊します。 
ビジネスアイデアと情熱はあるわけです、あとはどうやってそれを現実にするか。
がんばらないと。がんばらないと。

死ぬ気でがんばります。
皆さんも弱った時には、このだらしなくて情けない挫折ブログを読んで、なにくそ根性出してくださいな(笑)、共に夢に向かって戦っていきましょう。





博多天神 新橋

最近は風龍さんの勢いがすごいけど、風龍と同じような博多の屋台らーめん系の博多天神に行ってきたっす。

らーめん500円。 真っ白の豚骨で、かなり乳化が強いスープ。
豚骨は炊きこんでいくと、一度は乳化が進んでいくけど、マックスを越すと、またあっさり系に戻っていく。  このスープはけっこうマックス目なところだと思います。
でも、臭い豚骨に比べたら、それほど臭わないけど、牛乳っぽさはある。 

「このラーメンはコーヒーで言えばブラックです、ここから無料のトッピングを足していって自分好みの味にしてください」的なことが書いてあった。

この言い回しはうまいなーと思った、微調整は自分でしてね!って言ってるわけだから、お客さんが味に不満を持つ確率を圧倒的に減らせる。 普通のラーメンは出された味が微妙だったら、その時点でアウトだからね。 



Snice NY

これまたNY通のガールズスケーター日本代表のチヒロックに教えてもらったお店Snice(エスナイス)


ビーガン(ベジタリアン)のカフェレストランなんだけど、ここの雰囲気がすごく好きだったっす。


個人的に「日常」に特化してる店が好きで、ニューヨークはちょっと気取りすぎた店が多いけど、ここはちゃんとオサレだけど、ちゃんと「日常感」があるって感じがする。

あと、このウッディーな店内の作りがすごい自分のツボでもある。 



ビーガンメニューだからブリトーもこんな感じ。 ガチんこゲイのスタッフに「君のオススメはどれ?」って聞いたら、このカレー味の豆がぎっしりはいったブリトーが出てきた、普通にうまかった。

ブリトーの生地もビーガン用の生地なんだけど、香ばしくてすごいうまかったです。 ブリトー屋さんやるならこの生地使いたいと思いました。

あとこのペーパーで巻いて、一緒に切るっていうスタイルもかっこいいよね。

んでなんでチヒロック姉さんが、この店を紹介してくれたかというと、あのBobby Puleoが働いてるってよ!って聞いて、いても立ってもいられずに行ったわけですが。。。。


もうすでに辞めちゃったそうです。超残念でしたが、このお店の雰囲気作りとか、すごい勉強になったので良かったです。 

チヒさん教えてくれてありがとうございましたー!

やっぱこいつオカシイ コディ・マクエンタイア


やっぱりこのスケーターなんかおかしい。

Cody McEntire  

ランプでのフロントフリップtoリップの、空中での動きがオカシイすぎて、もう宇宙人なタイプです。
(3:10くらいからのランプセッションのやつ)


いつか日本のスケートボーダーもこんなのが出てきてほしいですね! 

飲食市場においてのヘルシー(健康)っていう考え方

米国の視察を経て、今後軽視できないマーケットとして再確認したので、「ヘルシー」っていう商品概念。

もちろん、この大きな波が来てることは当たり前に知っていたけど、米国は日本よりはるかに先進的だった。
chop't(チョップト)  サラダFCR業態で一番伸びてるっぽいブランド
最初に野菜と具を選んで、それを専用のナイフでチョップしまくるパフォーマンスで有名に 
これはニューヨークのウォールSTらへんの店舗

そんで、このヘルシーな食事ってのを少し考えたときに、この「ヘルシー」って言葉にも二つの側面があることに気づいた。 そんで今後はヘルシーはヘルシーでも、どっちのヘルシー(健康)が消費者のニーズとして成長していくのか?ってところで、分からなくなった。

①ダイエットとしてのヘルシーなのか?(低カロリー)

②体に良いって意味のヘルシーなのか?(必ずしも低カロリーである必要はない)

この二つのどっちにマーケットのニーズがあるのか考えないと、多分ダメなんじゃないかな~と。
これはきっと日本人が「ヘルシー」って言葉を聞くと、なんとなく「低カロリー」的な考え方になっていくと思うけど、必ずしもそうとは限らない。

このセグメントを明確にしないとブランド自体がブレっていっちゃう。

これもよく見るサラダ系ブランド。こうゆうサラダ系のブランド決まって白・緑ベースで作ってあって、なんだかつまんないなって思っちゃう。 これもニューヨーク。


昨日会った人が、最近ビーガン(ベジタリアン)になった人だった。
その人も言ってたけど、ビーガンになったのは動物大好きなのに、殺してまで食う必要あるのか?って考えたら、食べる気がしなくなったっていう理由で、決してダイエットのためではないから、カロリーは気にしてないって言ってた。

それに今まで会ったビーガンに「なんで?どうゆうタイミングでビーガンになったの?」っていつも聞くけど、理由は「動物殺してまで食う必要ない」か「体のため」のどっちかしか会ったことがない。
何も知らない時は、アレルギーが主な理由だと思っていたけど、実際アレルギーでビーガンになったって人に会ったことがない。(もちろんいるだろうけど)


今、米国はサラダのファストフードやビーガン(ヴェジタリアン)メニューが増えてる。とくにNYは2~3歩先行ってる。 だけど、サラダのファストフードって行っても、日本のコンビニのサラダの3~4倍の量をむしゃむしゃ食う感じで(しかも10ドルくらいかかる)、ドレッシングもかかってるし肉も乗っかってて、言うほど低カロリーじゃねーなって思ったわけです。

だからもし、ヘルシー業態をモデリングするなら、このふたつの側面を意識して、体に良いってとこにフィットさせるのか、低カロリーにフィットさせるのか、両方にフィットさせるのか。 ちゃんと考えないとダメだと思う。 そしてマーケットはどっちへのニーズが強いのかってとこが超重要だなーっと思った。

日本では日高屋の「野菜たっぷりタンメン」を1日分の野菜が取れる!ってことで大ヒットして、主力商品になってるけど、あれは「体に良い」方のヘルシーなわけだし。

でもひとつ言えるのは、「健康」っていう意味のヘルシーを考えるとしたら、決して野菜食ってれば健康ってわけではないってこと。  でもまー、マーケットはそうゆう風には動いていかない。




なつかしスケート映像1 

すいません!懐かしい映像出てきました! 

大宮住んでたときに、くらっさんが編集してくれた映像です。 いやー懐かしい笑。

しかし、もっとうまくなりたかったな…


小諸そば 神田

立ち食いそばの勢力図を、塗り替え始めてるな〜って思うわけですよ。

こもろそば。

最近の都内の出店ペースがすごい。

クリアガラスで茹でてるところを見せる安心感、新鮮感。丼ものにはキュウリ漬物と紅生姜が添えてある。スタッフの対応や元気の良さ。フリーの薬味に、ネギ、七味、ゆず風味七味、わさび、梅干しがある。店内の清潔感。もり・かけそば230円から。

戦略的にも、既存の立ち食いそばを上回ってる。オススメ商品の押し方、お値打ち間のアピールの仕方。
今は海老一本増量中だった。

立ち食いそばのイメージを、やんわりと、だけど確実に変えてるな〜。
このやんわりと確実に変えるのって、案外難しい!勉強になりました。

福の軒 秋葉原

特製らーめん380円にネギと玉子トッピングで食べる。

次は、替え玉と高菜とニンニクとゴマ、紅生姜を少々。

最後は旨味が増したスープを飲む。

ここまで楽しんで食って、800円しないって本当にすごいモデルだと思うわけですよ。

日本のラーメン市場は、今後は価格とブランディングも大事になっていくだろうな〜。

こころ 大船

帰国後の初ランチはんまいラーメンが食いたいと思い、実家周辺を調べた。

したら、とあるラーメンサイトで、前に店の前通って気になってた店がオススメされてました。

大船駅の裏路地の方にある店。
COCORO。

どうやらHANABIとゆう店の二号店らしい。

んまいかったです。味じたいは魚粉濃厚系で、珍しいわけじゃないけど、

1050円の特製ココロつけ麺、具のボリュームと具のクオリティが異常に高いと思いました。原価いくらでやってるんだろ?って思う。

お得感はんぱじゃない!また行くと思います。

シズラー LA

これはあれね、ファミレスっす。 ビュッフェ型。

結構でかい業態なので、ロサンゼルスを車で走ってるとしばしば看板を見ますね。

ここは野菜食いたい時にちょくちょく行きました。  タコスやスープも充実してて、ゆったり座れるし最高っす。 

日本も展開してまっす。  
http://www.sizzler.jp/




亜沙ラーメン LA

亜沙ラーメンは場所でいうとロサンゼルスのガーデナかな?らへんにあります。

ここの主人のお話を色々聞かせていただきました。 LAのマーケットのクセなどがざっくりと掴めて勉強になったです。

夜遅くまでやって、人気のお店っす。
http://www.yelp.com/biz/asa-ramen-gardena
そこのベトナム人みたいなのは相方っす笑

シンプルな豚骨醤油

大黒家 LA 

ロサンゼルスのラーメン戦争でだーーーーんとつ一位の知名度と人気を誇る大黒家。 
リトルトーキョーにあって、夜遅くなると終始行列。

長年の歴史が人気をよんでるだなー、と思います。

http://www.yelp.com/biz/daikokuya-los-angeles



つじ田 LA


Tsujita artisan noodle。 ロサンゼルスのサンタモニカ、ソーテルブル通りにあるこの店がうまかった。

この「ソーテル通り」ってのが今熱いみたいです。 とくにラーメンでは。 ラ・ブレアダイニングが出したJINYAもこの通りにある。

飯田橋の有名店「つじ田」のLA版です。  日本の味をそのまま作ってる。 んまい。

でも夜は和食バーレストランになる。 ラーメンない。

日本人の職人さんが麺上げ。気合い入ってる。良いお店です。

http://www.yelp.com/biz/tsujita-la-artisan-noodle-los-angeles






吉野家 LA 

ロサンゼルスのトーランスにある吉野家。 

今回の視察で一番勉強になったモデルケースが米国の吉野家です。 勉強になったってのは残念ながら良い点を吸収できたという意味ではないんですね。

いや自分たちにとっては、吉野家があるのは本当にうれしかった。慣れ親しんだ牛丼。

でも米国の吉野家はターゲットを見失っているように思う。実際に100店舗弱からまったく成長できてない。

パンダエクスプレスとゆう米国のチャイニーズファストフードがあるんだけど、どちらもご飯系のファストフード。

昔は店舗数は同じくらいだったけど、現在パンダエクスプレスは1500店舗程度を展開している。

トーランスの吉野家



チキン照り焼きと牛丼のコンボ

玉ねぎを見ても分かると思うけど、薄い。他のブログなどでも薄いのコメントが目立つ。

NYに出店した吉野家も、なぜか寿司とかまで出して、迷走して閉店しちゃいました。

米国の吉野家、自分にやらしてもらえないかな~笑。








もしドラ (本)

ドラッカーを説明する本はいくつか読んだけど、アホな自分には、これが一番すんなり読めた。

組織はもちろんだけど、個人も、ただの遊びでの集まりも、この本読んでから考えると色んな発想が見えてくると思う。

すーぱーさっくり読めるよ! 映画も見ようかな。。。




武士道 (本)

やっぱこれっすね。 


昔読んだ時はあまり理解できなかったけど、久々海外だからってことで、日本から持ってきてた。
だいぶ理解できるようになった。

武士道とか、大和魂とか、愛国心とか、そーゆうの言うと若い人達は「え?この人大丈夫かな?」ってなっちゃう人が多い。 
でも、そーなった日本は逆にすごい珍しい、特に先進国からしたら。 

「道徳」を教えるとき、世界では宗教を元に教える。

 たとえば「物を盗んではいません」とかって、「なんで?」って聞かれたときに、「ダメだからダメ!」
としかいえない、論理的なダメの理由がないから。

それを宗教がある国は「神様が見てますよ」みたいな形で、神様を信仰することによって「神に背いてはいけない」と教育する。

でも日本は「神」って? って話です。 

仏教は?って思うかもしれないけど、仏教は唯一実在する人物の教えから来ている宗教であって、神様を信仰している宗教ではない。

この本の冒頭にも書いてあるけど「じゃーどうやって道徳を教えるんだ?」って海外の方々は不思議になる。 

日本はこの「武士道精神」をもって、道徳を教えてきたってことです。

シャイ、ものが言えない、気を使い過ぎ、なんで日本人ってこーゆう人間性なの?って、すべてはこれを読めば分かると思います。

当時のルーズベルト大統領がこの本を読んで、友人にくばったっていう逸話もあって、世界が日本人の人間性について賛美するきっかけになった本です。

むしろ世界に出る日本人は絶対に読まなくちゃいけない本じゃないかなって思います。 

とゆうか恥かくと思います、本当に。 自分は相当恥かいたタイプです。

Bryant Park NY

公園にfree wifiあるのってすんげーな。
この近くの図書館に一時期こもっていた。

ニューヨークはベンチがたくさんあるのが、ありがたいですね。

ブライアントパーク ニューヨーク

賢者たちの決断 (本)

これLAで買ったから高かったー!(2600円くらいしたかな) 泣。 
なんでLAのブックオフには日本の書籍ないんだよ!って相当恨んだっす。笑。 いやウソ、book off 大好き。


こうゆうケーススタディをもとに著者が追及していく系の本は、なんだかサクっと読んじゃう。


ゴールドマンサックスからアメックス、スターバックス、シンガポールの首相まで、一流の人たちが、どーやってピンチを切り抜けたかとか、 そーゆう状況の時には一流の方々はどんな思考が働くのかとか…

そーゆう話をまとめた本ですね。

一流の人たちは常に視野が広くて、ピンチの時ほど、金や名声に捕らわれず、自分の信念を信じて行動しているんだなーって。

「論理が超大事なんだけど、最後の最後は論理じゃない!」って自分よく言うんですけど、信念とか理念とかって、まさにそれだと思う。 夢もまた同じだったりする。




Stumptown Coffee NY

さすが相方、いけてるコーヒー屋探せと言ったら、サクっと見つけてきました。

フェアトレードで現地と契約して、自分にはよく分からないけど、こだわり系。

そして、行列なんだけど、待ってるお客さんたちもサレオツな人ばかり。
コーヒー屋でも、ここまで客層を分けれるもんなのかと感心しました。
そして忙しいのに、スタッフの笑顔が素晴らしかった、あれはちゃんと教育されてる。

スーパーおしゃれなホテルに併設されてて、そこのロビーのかっこよさが異次元だった、ここもまたオサレに敏感な層に人気らしい。そのホテルも今すごい勢いがあるようです。

スタンプタウンコーヒー ニューヨーク




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米国飲食企業の動向


米国の数字です。 この動向の変化を見ると一発。

FCRなんですね。やっぱ間違ってないな、自分の見てるモデルは。

あとはカタチにできるかだな、ほんと。。。。

QSRクイックサービスレストラン、FCRファストカジュアルレストラン、CRカジュアルレストラン。



http://d.hatena.ne.jp/foodrestcom/ より抜粋。
このブログのフォーカスポイントはいつも、勉強になります。 



下山事件 最後の証言 (本)

渡米中に読んだ本をちょいちょい挙げていきます。 
2か月半で10冊が目標だったけど、時間はいっぱいあったから本当はもっと読めたといまさら思ってる。  とりあえず10冊はクリアしました。

一冊目、下山事件 最後の証言

この本がなければプラス3冊はいけたなって思います。かなりてこずった。

これは渡米前は日本橋に住んでたため、引っ越しの準備を姉ちゃんに手伝ってもらってたら、姉ちゃんがいきなり「下山事件のライカビルってここらへん?」って聞いてきた。
ちょうどその時「社会派ブロガーちきりん」が一番おすすめしてた本がこれだったのを知ってて、いてもたってもいられずに買いにいったわけです。

戦後最大のミステリーとして、語られている有名な事件。


今、説明しようと思っけど、もう忘れました。
これ実際にあった話ですが、スーーーパーーー複雑です。

「あの事件をやったのは、うちの兄ちゃんかもしれない」って始まるんだけど、その兄ちゃんってゆうのがこの著者の祖父である柴田宏なんです。

戦後GHQ支配下で、満州鉄道に努めてた人達が、敗戦とともに日本に帰ってきたこともあって、国内の雇用があふれちゃって、GHQはリストラをする方針をとる。

そこにちょうど国鉄の初代総裁になった下山さんが、リストラなどの改革の陣頭指揮をとることになるんだけど、これもリストラをやるの分かってて、憎まれ仕事を引き受けた感じなんです。
そして下山さんは、一生懸命にその改革をなるべくスムースに行うために、頑張っていたわけです。

そして大規模なリストラをやりますよ!って日の朝、急に日本橋の三越で、ドライバーを待たせて消えたっきり戻ってこなかった。

そして翌日、常磐線の日暮里駅らへんの線路で轢死体でみつかった。

普通に考えたら、リストラ反対の労働組合の仕業かなって思うけど、GHQ、CIA、G2(よくわからん)、政界、官界、財界、スパイ、労組、もーマジでわけ分からないくらいに絡みあってます。

しかも、この色んな組織がこの事件を操ろうとしてるのが、またすっごく分かりずらい。

最後に、この著者は犯人はわかったと書いてるけど、名前は出さないで終わるのが、また悔しい!もちろんこの本の中で登場してる人物であるんだけど。


この謎な事件を「おまえほんっっとーーーーに、よくここまで調べたな、しかし!」ってくらい細かく調べている。

自分は、この本の舞台になる場所から、すぐのところに住んでたのもあって、本を読んでるだけで、そわそわが止まらなかった。 
でも後半から、人の名前が出過ぎだし、戦後のいろーんな政治的陰謀がぐっちゃぐちゃに絡んでて、だんだん分からなくなってしまった。

戦後史をけっこう知ってますよって人は読んだら絶対に楽しいと思う。
自分はあと3回くらいは読まないと理解できないだろうな。。。















Jackson Hall NY

NY到着した日、クイーンズにある安宿に泊まりました。
夜で、街並み的にも、イメージ的にも怖そうだったけど、腹が減りすぎてたので、徘徊してみたら、この店があった。

ハンバーガーとビール頼んだら、すんげーハンバーガーが出てきて笑いました。
ミディアムレアで食ったです。

あとで調べたら7ozハンバーガーって言って有名らしい。マンハッタンにも何店舗かあるようです。

しかし、スタッフの姉ちゃんかわいかったな…

ジャクソンホール ニューヨーク



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Meatball Shop NY

日本にいるとき相方が買った飲食雑誌に乗ってた店。

今回、金もないし、視察内容もファストフード系やファストカジュアル系をターゲットに行ったので、あんまりフルサービスレストランに行ってない。

でも、ここは行きたかった。
本当にセンスのある飲食モデルだと思うな〜。

とりあえずミートボール食った方がいい、んまい!
これがミートボールなんだって実感できたお店でした。


ミートボールショップ ニューヨーク
http://www.themeatballshop.com/

スタテン島から見るマンハッタン

自分の滞在先は、スタテン島。
毎日マンハッタンまでフェリーに乗って、自由の女神の横を通過していく。

スタテン島じたいは、はっきり言ってオススメしない笑。
街が死んでる、死にきってる!

だけど、毎日のフェリーは好きだった。紙袋に入ったビールを飲んで、安室奈美恵のlove storyを聞いて、フェリーからの夜景を見る。

ぶっちぎり切ないモードみたいな。

もーちょっとで帰国。全力で突っ走るのみ。

話がすっ飛んだけど、写真は、自分がよく行ってた、スタテン島のスタジアムのはじっこにある、筋トレスポット。向こうに見えるのがマンハッタン。

ニューヨークの雇用について

LAではそんなに気にならなかったけど、NYにきて思ったことがある。

自分は現在、視察とゆうカタチでこっちに来ているので、飲食店をたくさん見ているんだけども、

絶対この人雇わない方がいいだろ!って思うような、すんげーおじいちゃんとかが、ファストフードショップなどでユニフォームを着て働いてる。

すんげースピード遅くて、階段とか登るのとかもゆっくりで、やってることは主にテーブル拭きとか、床を掃くとかそれくらい。

これは多分、州の政策とかなのかなーって思うね。もしくは企業としてそうゆう取り組みをしてるのかな?

でもいいことだね。日本は高齢者は全体的に金持ちだから、大丈夫かな。

小野田寛郎(おのだひろお)さんって知ってますか?

日本軍の兵隊さんです。

ニューヨークのブックオフで2ドルでゲットした、日本財団会長の笹川陽平さんの本を読んでたら、小野寺さんの名前が出てきて、なんとな~く調べてみた。

すごい。本当にすごい。
(最後に動画あります)

簡単に説明。

1944年の12月フィリピンのルパング島に派兵される。
アメリカ軍が攻めてきて、ルパング島の日本軍はほぼ全滅。
1945年8月、終戦(ポツダム宣言)。
しかし、生き残った小野田さん達4人は、敗戦を知らずに、山に潜み、ひたすらゲリラ戦を展開する。 一人の部下は50年に投降、もう一人は54年に射殺される。
そして72年、最後の一人の部下も射殺される。

この時点で敗戦から27年!(自分いま27歳!)


その後もひとりでゲリラ戦を展開し続けた。一人でだよ、一人で。
この間に日本政府や小野田さん家族なども現地に訪れ、捜索活動をしている。

しかし、ゲリラ活動・諜報活動の精鋭を養成する、陸軍中野学校を出ている小野田さんは、直属の上司からの武装解除の命令が無い限りは一人になっても戦い続けろと言う教えを、忠実に守り続けたため、その捜索活動なども自分をおびき出す作戦だと考え、身を隠し続けた。

ある日、ジャングルの中で、一人の青年を発見。 
銃を向けて脅すと、彼は日本人だった。この青年は、テレビなどで中継される小野寺さんの捜索活動を見て、触発されてルパング島に、小野田さんを探しにきたワンダーボーイだった。

小野寺さんは「直属の上官からの命令があれば、この任務を離れる」と伝え、青年は小野田さんの写真を撮り帰国。

そして、1974年3月9日(敗戦から29年)当時の上官をフィリピンに送り、任務完了を伝える。 

フィリピン軍の基地に到着すると、軍刀をフィリピン軍の最高司令官に渡し、降状を表明した。この時、小野田さんは処刑されると覚悟でいた。
しかし、司令官は「軍隊における忠誠の見本」と評し、軍刀をすぐに返す。

この時、51歳だった小野田さんは、自分の命を60までと決めて、60歳になったらフィリピン軍のレーダー基地に突入攻撃をし、果てる覚悟だったとのこと。

30年間のジャングル暮らしの中で、敵にばれないように暦は頭の中で覚えてたらしいけど、たった6日しかずれていなかった。

そして帰国後は、まったく変わった日本を目の当たりにし、若者の脆弱化を教育するために日本財団協力のもと、小野田塾というのを運営し、日本のために頑張っているそうです。

つぎはぎの軍服、ピシっと背筋を伸ばし、敬礼する姿がとても印象的。
そして保護された当時の獣のような強く鋭い目と、現在の本当に優しそうな目の差が印象的です。
母との再会が感動した。

忠誠心。ラストサムライ。





もっと知りたい人はウィキってください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%94%B0%E5%AF%9B%E9%83%8E


小野田さんと同じく、グアム島で28年で生き続けた横井庄一さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E4%BA%95%E5%BA%84%E4%B8%80
この方の帰国時のインタビューは有名ですね。










Habana cafe NY

SOHOにある人気カフェ、ハバナカフェ。

Mexican grilled cornだっけ? まーそんな感じの名前のやつが有名らしい。

これね、パルミジャーノとチポトレみたいのが焼きもろこしにかかってるだけなんです。

でも!ライムをかけると、おー!ってゆう味になります。しかも2ドル、安!

冷やし中華にマヨネーズ
麻婆豆腐に山椒
スイカに塩
キムチにゴマ油

などなど、予想できそうなんだけど、やってみると予想を超えて、おー!ってなることってありますが、これも、そんな驚きでした。

ニューヨーカーは、モロコシ食っても画になるんだなってゆうのが、一番の思い出です。

紹介してくれたマッチ、ありがとう。




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Pomme Frites NY

フレンチフライ専門店!

と聞いて、ビジネス的な勘がはたらいて速攻いってきました。

まー普通に、普通。においしい。
ポイントは25種類のソース!

でもあれね、日本人は一番小さいサイズを3人くらいで食った方がいいかな笑。
行列になるみたいですよ〜。

ニューヨーク、イーストビレッジの日本食店が集まった地域にあります。

しかもこの後、友達とカフェの窓際に座ってたら、目の前のレンジローバーに荷物を積み込んでる人が、坂本龍一さんだった。
多分ですけど笑。



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ZERO時代のErik Ellington

bakerに行ってからも嫌いじゃないけど、やっぱZEROのころのエリックエリントンが好きだわ。
めっちゃ若いし、当時はAxion footwearのスポンサーついてた。

ビックスピンからのフロントボードスライドと言えば、エリントンだったな~。
 
今は誰でもやってるけど。



ラーメン ミンカ NY

yelpなど見ても評価高いので行って来た。

んまい。

外れの方にあるんだけど、13時すぎに行っても、ほぼ満席だった。箱が小さいけど。

米国は、イノベーションが起きてないのか、食材的な規制なのか分からないけど、麺のクオリティがもう少し上がったらいいなって思うんですね〜。

ハリケーン後のマンハッタン

船が動いたからマンハッタン言ったけど、地下鉄まだ復活できず、正月の東京のオフィス街みたいですた。

エッサベーグル NY

女の子スケートボードシーンを代表する、チヒロックさんの紹介で行って来ましたですよ。

Ess a bagel

おいしい!でもってね、コーヒー豆も売ってるし、あとすごいのはサラダの種類ね、全部うまそ。

ベーグル屋だから、ベーグル二個頼んだけど、でかいし、少し固めに焼いてあるから食いごたえがハンパじゃないす。

ベーグルサンド一個と、サラダ一種くらい食えばちょうどかな。

初めての人はオーダーしにくいかもだけど、そこは笑顔で乗り切りましょう。

にしてもChihirockさん紹介ありがとうござましたー!

大衆居酒屋 ケンカ NY

相方と別行動して、約一ヶ月ぶりに合流。

イーストビレッジにある人気の居酒屋にいってきました。

もー、まんま日本の居酒屋。
装飾物がちょっと飛んでるが、NYでやるならこのくらい飛ばした方がいい。

味も、問題ない大衆居酒屋の味。酒がたくさんあって、熱燗うまかったっす。

最後に日本人の兄ちゃんスタッフに[チップもう少し払ってくれませんか?]って普通に真顔で言われて、ムカついたんですが、まー仕方ないとしますか!笑

101cafe

LAから南に下ると、サンディエゴのダウンダウンまであと30分くらいの場所に、オーシャンサイドってゆう地域があります。

ここのスローな雰囲気が最高、絶好のサーフポイント。

その地域の老舗カフェ。
営業時間は朝七時から午後二時まで。

朝飯と昼飯、夜はやらない。こーゆう店がけっこう多い、日本だったら考えらんないね、こーゆうライフスタイル優先型は日本の市場じゃ、ほぼ無理だろうな。

築地は別だけどね!午前中に人が集中する基盤があるので。

シルバーレイクラーメン

ハリウッドを東にちょっと行くと、シルバーレイクです。
そこにシルバーレイクラーメンがオープンと聞いて、いってきました。

ちゃんと手をかけて作ってる味でした、ここらへんならスターがフラっと立ち寄る可能性あるし、いいロケーションだな〜と。
がんばってほしいっす。



LA ラーメン ロサンゼルス silver lake ramen

砂漠を

砂漠をおもちゃみたいな車で走破してきました。
しかし、アメリカでっかい。
西の海岸沿いから、東にひたすら車を走らせても、まだカリフォルニアから出れない感じでした。
もっと金があれば、グランドキャニオンまで行きたかったっす。
まー仕方ない、遊びに来たわけじゃないので!頑張ります!

ハリウッドのクラブへ

相方の友達に誘われ、クラブへ。
アジア系のイベントらしいかったです、みんなゲッチャ飲んだくれてました笑。
自分は友達のケンカの仲裁に入ったり、飲み過ぎた子をフォローしたり、無難にこなしました。

そして、

最後に白人のイケメンにガチナンパされました、みーんなにげっちゃ笑われました。

やはり自分はゲイにモテます笑。

山頭火 トーランス LA

みんな知ってる山頭火。
トーランスはLAダウンタウンから南に30分くらいの日本人が多い町で、日系大型スーパーマーケットのミツワ内のフードコートの店舗へ行きました。

スープのレシピは一緒だと思います、麺は厳しいっすね。