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ゆめなかば


今から、約1年半前に「ラーメンでアメリカ目指してみないか?」と、声をかけてもらいました。

当時、自分は青年海外協力隊のボランティア隊員としての任務を終えて帰国し、「さー居酒屋で独立するぞ!」って意気込んでいたところでした。

話はさらにさかのぼりますが、なぜボランティアに行ったか?というと。。。
赤坂の創作和食のお店で見習いをして、一応ながら社会人になり「お金」と向き合う中で、どんどん純粋な気持ちがなくなっていく自分に気づいて「あれ?」と思ったことがありました。

将来は自分で仕事を動かせる人間になって、色んな人々や仲間と「感謝」を共感したいと思っていた自分にとっては、お金の力が強くなっていくような自分の感情に疑問を感じて「これでいいのかな?」って悩むようになりました。 

悩んだ結果、思いついたことは「お金ってものを、もーっと尊い目線から見直すためには、途上国を見ることだ」という答えでした。 だって、自分自身の「普通」って、案外普通じゃなかったりするわけだから。  日本は裕福な国(世界で2位だった、GDPでは世界で今は3位)、裕福な国からお金を見るのと、貧しい国からお金を見ることはまったく違うってことは誰でも理解できます。

もし経営する立場に立った時に、金金金金カネ!ってなって、本当に大事なものを見えなくなる人間にはなりたくない!。それなら自分の道徳感を教育するためには、一度途上国に行かなければならないって思ったわけです。
もともとボランティアには興味あったけど、当時の自分は独立する意思の方が圧倒的に強かったのに、1~2年潰してでも、道徳感を磨こうと、その時は思ったわけです。

そして青年海外協力隊としてボランティアでキリバス共和国に派遣されました。もちろんその経験の衝撃は自分の人生の中で最大のものになったことは言うまでもありません。
(キリバス時代のブログ) ←クリック

話はめーっちゃ逸れましたが、ボランティアが終わり、さー立ち飲みでもいいから独立するぞ!って動いているときに、「ラーメンでアメリカ目指さないか?」との話が舞い込んできました。

「和食」をツールにしてグローバルで活躍できる人間になりたいと思っていたものの、「ラーメン」は考えもしないプロダクト(商品)だったわけです。 3~4日悩みましたが、自分が世界で戦いたい理由は、つきつめれば「日本の誇るべき食文化を世界に広げたい」ってことが出発点なんだな。。。。っていうことでした。
それなら「ラーメン」はもう完全に日本食と言える文化だし、自分の力では最初っから、いきなりアメリカに展開するなんてことは絶対にできないし、それなら最終的な理由は一緒だなって思いました。

そして、自分はアメリカでのラーメン屋を展開することを夢見て、その話に乗りました。
まずは「新しく都内にオープンするラーメン屋をやってみろ」という指令のもとに、ラーメンについてはまったく知らない自分は、がむしゃらに働きました。 はっきり言ってえげつない時間働きました。
時には苦しいし、辛いけど、新しいことを覚えることは楽しいし、そして何よりもひとつの夢を見てる自分には、いくらでも耐えることができました。

そして約一年が経とうとしていました。

当初は2~3か月と言われていた自分は、明らかに「このままじゃダメだ」ってことに気づいていました。  そして自分から、米国展開のための資料を集め、朝の九時から深夜1時まで働き、その後深夜3~4時までファミレスで勉強し、資料を作り、翌九時に出勤を繰り返しました。休みの日はJETROの図書館に行き、報告書として上に提出するようになりました。上からすると「君たちが現場をなんとかできないのが悪い」って気持ちだったと思いますが、自分たちは2~3か月で何かしらの目途を立ててくれると思っていました。(これが甘かった)

資料の提出を続け、アピールし、自分から行動をすることにより、なんとか一年と一ヶ月が経った時(2012年8月末)に、米国への視察するチャンスをゲットすることができました。

そして相方と共に、米国に行きました。 自分は27歳、相方は大学卒業したばかりの22歳。 自分はずーっと飲食業界できて、この仕事が好きでしたが、相方はどっちかっていうと「飲食業とかやりたくないけど、アメリカ行けるならやってやる」っていうタイプでした。

もちろんビジネスとしての思考も観点も、明らかに自分の方が上であり、そして何より自分の気持ちが強いこともあり「おまえできないなら、俺がやるから心配すんな!」的なスタンスできてしまいました。 これもまた失敗かなと思います。 相方は22歳にしては、とてもバランス感覚もあり、ビジネス感もあるのは事実ですが、その時に大事なのは素質ではなく、実力ほしかったのは事実です。

そしてLAに一か月、NYに一か月の視察を終え、11月に帰国しました。

しかし政治的な状況や、会社の方針、そして自分が米国のニーズをうまく伝えられなかったこと、色々な要因が絡み、12月12日の昼の電話で米国出店の話は事実上「消滅」しました。

12月9日には、ほぼ分かっていました。(なぜ分かっていたのかは思い出せない)
とりあえず12月10日の夕方から銀座らへんで一人で飲みだして、その日の夜中まで、色んなところを歩き回りながら、缶ビールを片手にずっと泣いていたことだけは覚えています。
出国前までは日本橋の窓無しアパートで一人暮らししてましたが、帰国後は実家に住んでいたため、帰ると家族がいるわけで、泣いている自分を家族に見せられないわけです。

家の前まで行って、涙が止まらなくて、玄関の扉を開けられなくて、また道端を歩き回って、コインパーキングの隅っこでずーっと涙が止まるのを待ちました。

んで11日は昼、1時間くらい社長と電話をしました。 ひたすら説教いただきましたが、ようは「米国出店の話しは白紙、日本の新規出店を手伝い、もう一度勉強しなさい」ということです。
自分の言い分もたくさんあるし、社長達がこの一年数か月で、自分や相方に言ってきた発言にかなりの矛盾があることは事実だと思います。
でも自分たち(というか俺)がそれをひっくり返せるような実力がなかったことが最大の原因だとも思うのも事実です。 お金を出す側が常に強いのは当たり前で、それを動かせるような実力がなかったことは自分の責任です。

今このブログを書いてる時間は、12月14日の午前3時、さっきまで13日だったわけです。 けっこうタイムリーにこの記事を書いてるわけですが、この5日間くらいで、人生で経験したこがないような心の圧迫感や、現実に限りなく近い怖い夢を見たり、動悸や息切れ、めまいさえ感じます。 こうやって人間は病んでいくんだなーとも思います。

でも自分はぜーったいに病みませんし、負けません。 今出資の話しがなくなり、五里霧中です。
はっきりいって明日が見えません。 ここで病んだら、完全にアウトです。 でも自分は、少なからず人に影響を与える人間だと確信しているし、ここで一般人になるわけにはいきません。 

だから、絶対に負けません。 いや、かなり負けそうで、折れそうな自分が、今ここでキーボードをたたいていることも事実です。

でも負けるわけにはいかないんですね。

夢なかばにして、こんな状況で負けるわけにはいかないんですよ。
本当に情けないです、情けなすぎて気になっている女性にも連絡できないわけです。 
今ただのニートだし。 

俺は本当に弱い人間です。 
ガキの頃から、ちょっと変わった家庭環境の中で「強くなんなくちゃ」とずーっと思ってきました。 
「ずーっと俺がなんとかしなくちゃ」って思いながら生きてきました。 
親は平和に幸せに、安定して良い家族を持ってくれれば、それで十分だよって思ってくれています。

強くなって、強くなって、一にも、二にも、三にも、四にも、早く親孝行したいです。 それができたら、自分の愛する人を探し、幸せになりたいです。 それもできたら日本のために活躍できるような人材になりたいです。 それもできたら世界の問題に貢献できるような人間になりたいんですよ、自分は。

だから、今けっこうはんぱじゃなくきついけど、とりあえず親孝行を自分が納得できるまではやらないと、死ぬにも死にきれないです。弱ってる場合じゃないんです。

だから、頑張ります。 今ひとりです。 親戚も仲間も、友達も、知り合いも、自分に期待してくれていました。 だからこそ言えないことってたくさんあったりします。 自分の弱みとかって誰でも簡単に出せるもんじゃない、なーんかなるべく笑っていたいんですね、みんなの前では。 強がっちゃうんです。

なんとかしなくちゃ。
今はその気持ちが全てです。もちろん焦りすぎるのはよくないのも分かってます。
また強がって、強がって、きっと自分はこの壁を乗り越えます、絶対に。

しんご西成っていう大阪のラッパーがいます。「STAYSTRONG」という曲にこんな一節があります。
「弱い、弱い、人間は弱い、それを理解してることが、強い」

「強い奴」になるためには「強がる」しかない、「強がり」っていうのは「弱さ」があって成り立つ言葉だなと思います。 そんで、その積み重ねでしか人は強くなれないのかなって思います。

だから自分は強がって強くなります。この壁を時間をかけてでも壊します。 
ビジネスアイデアと情熱はあるわけです、あとはどうやってそれを現実にするか。
がんばらないと。がんばらないと。

死ぬ気でがんばります。
皆さんも弱った時には、このだらしなくて情けない挫折ブログを読んで、なにくそ根性出してくださいな(笑)、共に夢に向かって戦っていきましょう。





2 件のコメント:

  1. いつでもたくちゃんを応援してるよ^^

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  2. ありがとう!これを超えたら、自分はまた強くなれると信じて頑張ります!

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